後藤健二さんは最期に何を語ったのか #329

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昨日日曜早朝、ジャーナリスト後藤健二さんの死亡報道に打ちのめされました。

数日間の沈黙で、嫌な予感は多少あったのですが、まさかと・・。

この件について諸々の是非議論は、メディア(新聞、テレビ、ネット)で出尽くしている気がしますので、個人的見解は控えます。

が、命の危険をおかしてまで「戦地での弱者(子供、女性)の惨状」を伝えようとした、中立的な見解を貫いたジャーナリストが亡くなったのは、心から残念です。

元々、ISIL(「イラクとレバントのイスラム国(英語:Islamic State in Iraq and the Levant)」)が生まれた背景は、大枠で下記と理解しています。

・東西冷戦の終結
・期待された平和世界よりも、むしろ地域内での宗教紛争激化
・民族主義、宗教心の高揚がますます表出

・イラクのフセイン元大統領のクウェート侵攻
・サウジアラビアが米国に支援を要請
・米軍、米国主導での多国籍軍によるイラク攻撃(→イラクのクウェート撤退)

・異教徒のサウジ駐屯に怒り、サウジ国王を批判したビンラディンが、国外追放、アフガニスタンへ
・反米テロネットワーク「アルカイダ」の誕生→同時多発テロへ

・米国のアフガンとイラクへの報復でイラク国内が大混乱。その内戦の中で、ISILの前進組織が誕生
・隣国シリアの内戦にイスラム国の組織が介入、勢力を拡大

今回の後藤さんの悲劇の背景には、米国(及び多国籍軍)とイスラム原理主義者との間の(誤解を恐れずにいえば)「報復の歴史」があることを忘れてはいけないです。

その「双方にとって悲惨な状況」を、中立的に、「弱者の視点で」世界に訴えかけようとした後藤さん。背景を考えれば考えるほど、その損失が世界全体にとっていかに大きいか、思い知らされます。

悲報を聞き、呆然としながら、ふと妙なことを考えました。

後藤さんは最期の数日間、このISILの兵士とどんな「対話」をしたのだろうかと。
もちろん、会話も何もなかったかもしれません。そんな余裕がないほど、肉体的にも精神的に追い詰められた可能性も高いです。

しかし、ジャーナリストとしての後藤さんの姿勢を考えれば、最後まで、相手と「対話」をしようとしたのではないか。私にはそんな気がしてなりません。

画像に登場する英国訛りの黒覆面の兵士は、「Kenji」と後藤さんをファーストネームで呼んでいます。私の勘違いかもしれませんが、その呼び方から、兵士自身も(処刑者としての残虐な)「役割」を超えて、目の前にいた一人の彼の地から来て捕らわれた日本人ジャーナリストとの間に少なからず「個人的親近感」を感じていたのではないか。そして、兵士たちと後藤さんとの間になんらかの「対話」があったのではないか。そんなことを考えてしまいました。

不謹慎かもしれませんが、もしそうであったら、後藤さん自身の魂も少し救われる気がするのです。

心より、ご冥福をお祈りして。

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