前回のブログにも書きましたとおり、私もとてもかわいがってもらった92歳の伯母が亡くなり、昨日、火葬で見送りました。
葬儀は、藤田家のお墓がある岡山県のお寺にて、少し落ち着いてからとりおこないます。
昨日の火葬は、神戸で関東から距離があることもあり、親しい甥、姪のみで見送りました。
そして、火葬の間の空き時間に、伯母の家があった場所を見に行ったり、伯母と甥、姪たちがよく歩いた商店街やお店を歩いてみたり。
思い出話に花が咲きました。
こんな雰囲気での送り出しができたのは、まさに伯母らしく、きっと喜んでいたと思います。
霊柩車で斎場に向かう間、そして思い出の地を歩いている間に、考えました。
「人生の価値とは何だろう」
と。
そして、ふとその時に浮かんだ答えは、
「小さくても、少なくても、亡くなる時に『心からのありがとう』をどれだけもらえるか」
でした。
もちろん、生きている間には喧嘩もトラブルもある。
しかし、人生のところどころで、故人が誰かにみせた「親切」「優しさ」「思いやり」は、
必ず亡くなる時にその何倍もの「有り難う」という想いで返ってくる。
少なくとも、今回、伯母に対しては残された親族・家族全員が「本当にありがとう」という想いを強く抱いていました。
小さい「有り難う」をいただけるような姿勢で生きられるか。
それを心がけて、日々、生きられるか。
自分のことだけでなく、他人のことを考えて生きていられるか。
大勢の人に対してでなくても、少ない人にとりわけ思いやりを持って接していられるか。
それが、人生の価値のような気がしました。
まだまだ若い自分。
人生の価値なんて大それたテーマに明快な答えはないのですが、伯母を皆で笑顔で見送りながら、そんなことを考えた一日でした。
写真は、甥、姪たちの思い出が詰まった、伯母の家まで続く一本道(岡本駅近辺より)。