伯母の死に想う〜生き様、美学、感謝〜 #498

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小さい時から本当に可愛がってもらった伯母が、神戸の病院で27日、92歳で亡くなりました。

幼少期の辛い経験も、伯母の存在があったから乗り越えられた、そんな、自分にとってかけがえのない伯母でした。

とても寂しい気持ちですが、今は、92歳まで生きてくれて、僕の子供達まで会わせることができて、心から感謝しています。

伯母という人間を僕なりに一言で表現すると、「気高い人」かもしれません。

誇り高く美しい人。よい意味で自分としてのプライドを持っている人。優しいのだけれど、これはダメ!という自分の軸をしっかり持っている人。豪快な側面も、緻密な側面も持っている人。そして、社交的であるのだけれど、誰にもおもねらないし、依存しない人。自分の美学を持っているけれど、決してそれを人には押し付けない人。そんな伯母でした。

祖父からは、伯母は当時、「男だったら、慶子は大経営者になっていた」と言われていたらしいです。
それくらいの能力と人を魅了するCharm (魅力)があったのだと思います。
(もちろん、欠点や短所もたくさんあったとは思いますが)

伯母は、藤田家の祖父母のことや、栄華を極めた時代、そして難局に直面した時代、いろいろな話をしてくれました。
盛衰の時代をこえても、なお、伯母は「藤田家」というものに強い誇りを持っていました。それが僕にも伝わっていると思います。

伯母は、若い頃からゴルフや海外旅行等をふんだんに楽しみながら、茶道、華道、お能などをきわめていった文化人でもありました。

プロ野球は長嶋や江川の大ファンだったので、巨人びいき(神戸在住なのに)。
そういえば、伯母と一緒に二子玉川に行った時に、江川投手(当時)に会ったな。伯母が珍しく興奮していたのが懐かしいです。

その伯母は、去り方も「気高い」人でした。
3月に脳梗塞で倒れ、意識は4ヶ月近くほぼない状態が続いていました。
療養型病院への転院など、一時難航した面もありましたが、最期は、本当に奇麗で親切な病院に転院できて、そこで温かくケアされていました。
最後は最良の形に落ち着く、というのが伯母のこれまでのパターンだったので、病院の件もそのとおりの展開でした。

そして、最期の瞬間。

僕は、甥として、

「おばちゃんは、もっとも良い去り際のタイミングを、自分で探しているのでは」

と感じていました。

そして、先週末、少し具合が悪くなっているという連絡を親戚の伯母からもらいました。僕は、前の週はどうしても外せない仕事の予定が詰まっていて、おそらく先週であればなかなか身動きがとれなかったけれど、日曜以降は、身動きがとりやすい状態でした。直感的に、

「おばちゃん、このタイミングかもしれない」

と覚悟を決めました。

姉が日曜の朝から神戸に入り、その姉と入れ替わるように、用事を片付けた後、日曜の夜に僕が神戸に入りました。
到着後、まず伯母の病室へ。

「小康状態」と言われましたが、呼吸器をつけていて、息が荒い。僕の顔をみて、意識はないはずだけど、少し涙を浮かべているようにも見えました。

看護士さんや先生いわく、意識がないので、「息は荒くても苦しんではいない」とのことだったけど、やはり体力は消耗しそう。
大丈夫かな、と不安に思いながら一旦ホテルに帰りました。

翌朝、献身的に看病してくれていた別の伯父や伯母と一緒に病院に向かいました。

そして13時過ぎ、伯父と伯母が一時的に、諸用で自宅に戻ったタイミングがありました。病床の伯母を見ると、いびきのような呼吸に変わっていて、僕自身も「まだ大丈夫そうだな」と考え、15分ほど近くの駅に買い物に向かいました。

そのとき、病院から携帯に連絡があり、「脈が低下しています」(何と言われたかおぼえていない)とのこと。
歩いてもわずか7、8分の道。どれだけのスピードで走ったかおぼえていません。

「しまった!少しでもその場を離れるべきではなかった!まさか!」という想いで、

「おばちゃん、まだ待っていてくれ、すぐ戻る!」という想いで、

走りました。久々に、あんなに全速力で走った感じです。

普段バイブレーションにしているので、着信しても気づかないことが多い携帯。
今回は気づけて本当によかった!なんていうことを想いながら走っていた気がします。

階段を飛び越えながら、病床へ。幸い、伯母はまだ息がありました。
僕の目をじっと見て、少し笑ったような気がしました。意識はなかったはずなので、本当に笑ったかは分からないのですが、たしかにそう感じました。

そして、13時59分、苦しまずに、穏やかに息をひきとりました。

結局、多くの人に見守られ、支えられた入院生活でしたが、最期は僕一人のタイミングを見て、逝ったような気がします。
皆に感謝はしつつも、「あまり大勢の人に見られているのは苦手」というタイプの伯母でした。
最期は、出かけていた僕を「あんたは戻ってきなさい」と呼び戻して、穏やかに逝った気がします。

親戚の伯父・伯母や姉が、もしもの時を見越して段取りをつけてくれていたおかげで、葬儀業者さんの霊安室への移動も流れるように進みました。
病院の方達も快く送り出してくれました。ここも、去り際が奇麗な伯母らしい段取りで進められたと想います。

長くなりましたが、書けば書くほど、懐かしい思い出が溢れてきます。
今、火葬のために神戸に向かっている新幹線の中ですが、感謝の気持ちがあふれてきます。

もっといろいろなことを聞きたかった。もっといろんな話をしたかった。そういう想いがあります。

写真は、伯母が長く住み、愛した神戸の岡本の駅前の風景です。
小さい時、何度も伯母とこの道を一緒に歩きました。年をとってからは、車いすも押してのぼりました。

神戸岡本

最期を迎えた病院も、ここからすぐ近く。
本当に穏やかな最期でした。

おばちゃん、安らかに眠ってください。そして、天国から私たち家族、親族を見守ってください。

本当に、本当に、ありがとう。

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