「福祉」の講義から得られた気づき

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本日は、月に1回、地元横浜で参加している「カウンセリング学習会」の第4回目でした。前にも書きましたが、この会、私が普段あまり仕事で接することのない年代の方や、主婦の方、職業の方が多く参加されていて、それだけでも刺激になります。

今日のテーマは「地域福祉」でした。

大学の先生が、冒頭1時間ほど講義をされて、そのあと、グループに分かれて共同ワーク。普段、研修を仕切る方が多い自分。参加する側になると純粋に楽しめますね。

一連の概要講義とワークを終えて、先生にざっくばらんに聞いてみました。

「先生にとって、福祉のシンプルな定義とは何でしょうか?」

先生のお答えは、こうでした。

「個人と環境の間の『溝』を埋めることだと考えています」

なるほど、さすがに学問を極めている方は、本質的で分かりやすい説明をされます。「個人と環境の間の『溝』を埋める」。まさに、いまの社会の根幹課題、それが福祉なのかもしれません。

個人(特に、弱者)が、社会環境から孤立せず、環境に融合し、そこでコミュニティを得て、(どんなに小さくても)役割を得て、生きる希望と方法を見いだす。そうすることで、その人の人生だけでなく、国の財政的にも、地域の活性化的にも、効果がある。

では、なぜ個人と環境の間には、「溝」ができてしまうのでしょうか。
自分に問いかけてみました。

これって、会社でも一緒ですが、私なりにその答えを探すと、究極的には「人間の、人間に対する、無関心」に起因しているのではないでしょうか。

会社でも情報技術や評価や制度など人間以外には関心を示す人がおおいのに、人間に対する関心を持っていない人が多い。

「あの人、どういう考えを持っているんだろう」
「あの人、どんな強みや長所を持っているんだろう。
「あの人は、なぜあのように行動するのだろう」(批判ではなく、知りたいという関心)
「あの人は、どういう生活をしているのだろう」

基本的に、その本人も、まわりの人も、「人間」にたいする関心が薄まると、個々人が(社員が)環境から切り離されていく気がします。

人間が中心であるという意味で、自分の専門である経営学も、社会も一緒。

人間への関心を再度高めていくことが、「溝」を埋めて、少しでも人間にとっての良い物を生みだして行く上でのスタートになりそうです。学びの多い土曜の朝でした。

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