4月21日の日経新聞朝刊、スポーツ面。
シマンスキー教授「世界サッカー、強さと収益は別物」。
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO85890480Q5A420C1000000/
米ミシガン大学の教授で、スポーツマネジメント、スポーツ経済学、スポーツ史などを研究しているステファン・シマンスキー氏へのインタビュー記事。
スポーツを完全に「資本主義」のビジネスゲーム的視点で解説している。
コカコーラの広告費と、ビッグクラブの広告投資を比較している点など、割り切って読めば、興味深い記述も多い。
しかし、彼のこの言葉には、強く違和感を感じた。
「いい選手を高いお金で買えば、タイトルに結びつき、クラブは成功する。チームの成功はお金で買える」。
さらに、インタビュアーとのこんなやりとりも。
――もしJリーグのチェアマンになったら、最初に何をする?
(シマンスキー氏)「答えはとてもシンプルです。金持ちを探す」
彼曰く、クラブを『トロフィー・アセット』と考える、収益度外視の金持ち資産家がオーナーになり、優勝トロフィーを「自分または自社の財産、資産」と考えてくれる状況をつくれば、高額の選手を獲得でき、クラブは成功する、ということ。
いやー、はっきり言いますね。アメリカ人経済学者が、スポーツを語るとこうもなるのですかね。
ヨーロッパの地域スポーツ文化とか、この理論でどう説明するんだろう。
こういう考えが横行すると、選手の年俸が右肩上がりに高騰して、お金の為にプレーするような選手、チームがどんどん増える気がする。(すでに、そうなっている気も)
地元で、おじいちゃんの代から応援している歴史あるチームのスター選手が、コロコロ、毎年マネーゲームの中でトレードしているような現状が、本当にあるべきクラブ経営の姿なのか?
子供たちが、一生懸命応援していた地元チームのエースが、翌年はライバルチームでプレーするような現実を観て、スポーツにどういう夢を感じるだろうか?
アルゼンチンのメッシや、ブラジルのネイマール、そして各国の代表選手が、「同じ」チームでプレーしていて、観る側はそんなに面白いだろうか?
そして、地元で100年の歴史があるチームの「所有者」が見知らぬ国の石油富豪、っていうことで、本当にスポーツ文化としてよいのか? (別に、それを完全に否定するわけではないけど)
それよりも、愛するチームが、若い時からみているお気に入りの選手が、成長して、懸命にプレーして、感動する試合をしてくれる。
時にはチームが優勝争いに絡んでくれる。応援する側も必死に応援して、そして選手とともに喜び、悔しがる。クラブも強いファン、離れないファンを、継続的に大切にする(かつての阪神タイガースのように。今はちょっと違うけど)。
そのことの方が「成功」の定義としては大事なのではないか?
ちなみに、香川、清武、柿谷などの育成で定評のあったセレッソ大阪は、元ワールドカップ得点王のウルグアイ代表 フォルラン選手に年俸6億円はらって、強くなったか?4月22日現在、J2で9位に低迷している。数年前のJ1優勝争いの常連が、嘘のよう。
もちろん、低迷の理由はいろいろあるのだけろうけど。
野球のメジャーリーグも、サッカーも、これ以上「資本主義モデル」に過度に組み込まれなくてよい。
いきすぎると、「選手はものすごく上手いけど、ちっとも感動しない」— そんな試合が増えるような気がする。
そう考えるのは、自分だけだろうか。
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