先週金曜、「人口知能」に関する勉強会に参加させてもらいました。
様々なバックグランドの5、6名が集まって、真剣議論。
議論をすることで、自分の知と他の人の知が融合して、2時間後には明らかに「賢く」なっている。
それが、こういう勉強会の魅力ですね。
主催者は、有名メーカーにお勤めの田邉 正明さん。
課題図書は、「人工知能と経済の未来」。
本の中身の詳細は、ここでは割愛します。面白い本なので、ぜひ読んでみてください。
「PCの処理速度が進歩すると2045年にはPC一台で全人類の脳と同等の情報処理ができるかもしれない」
といった話も。
もちろん、細かい「予測」が当たるかどうかはさておき、
人工知能が進化した先にどんな未来があるかは、大体予見できますし、大きくずれることはないでしょう。
それは言うまでもなく、
「これまで人間の手で行われていた作業、労働、仕事の多くがAI(人口知能)をはじめとしたITにとって代わられる時代」
です。
その結果、供給力は加速度的に上がりますね。これまで人手をかけてやっていたものをコンピューターが代替するわけですから。
時間も、地理的制約も受けず、供給力は上限なく上がります。
しかし、当然ながら供給力が上がっても、同じく需要が伸びるわけではありません。
経済の根本からして、供給力があがっても、需要が上がらなければ、ものの価格も、労働者の賃金も上がりません。
特に、日本のように元々製造業の生産効率が高い国は、「供給過多」になりやすく、物価には転嫁されにくい。
そうなると、何が起こるでしょう。
一部の、AI時代の「インフラ」をほぼ総取りできるGoogle やアマゾンといった大手IT企業資本は格段に潤いますが、
一般の労働者や従業員は
・仕事がなくなり
・給料も上がりにくい
という状況になりやすい。そういう経緯で、いわゆる「ベーシックインカム」の議論が巻き起こっていますね。
AI時代に大型の資本を牛耳れる企業がこのベーシックインカムを拠出するのか、
はたまた政府から拠出されるのか、わかりませんが、
私もこの「ベーシックインカム」の見立てはある程度現実味があると思います。
さて、そういった経緯でAIの時代に「供給力」が格段に上がり、
人々の「労働」の姿が大きく変わっていく未来に大切なのは、
「新しい需要や価値をどう生み出すか」
です。
これは、まさにAIが「不得意」とするところです。すなわち、人間しか知恵を絞り出せないところです。
そういう意味で、「日々の統制された労働」から解放された人間が、
学習、趣味、コミュニティ活動、遊び、文化活動といった中から、
「新しい価値」を生み出す時代になるはずです。
それは、おそらく大型資本から生み出されるのではなく、
個人、チーム、コミュニティといったものから生み出されるはずです。
そうやって、「個人」「末端の人間」と、「大型資本(巨大産業)」の、「対等で互助的」な関係は維持されるはずです。
双方が補完的に生き、助け合える関係です。
ドラッカーは、「ポスト資本主義」という著書の中で、
「資本による生産の時代から、知識によるイノベーションの時代へ」
の変化を予見しました。
(久々に手にしたドラッカーの「ポスト資本主義社会」。改めてその先見力に驚かされました)
約25年たって、このドラッカーの予見は現実のものになって私たちに「課題」を突きつけています。
資本によるIT化、AIによる産業や仕事の大転換で、「生産」は圧倒的に効率化されます。
だからこそ、我々は、人間にしか生めない「知」を活用して、
イノベーション、すなわち新しい顧客価値や満足を創造していく、という人間にしかできない価値を発揮すべきです。
勉強会でも発言したのですが、これからは「拡大可能」なものは簡単にITに取って代わられます。
フランチャイズ店も、金融取引も、アプリケーションの開発も、
これまで「無制限に拡大可能で、ビジネスとして魅力的だ」と思われていたものが、
簡単にAIにとって代わられます。
そのかわりに、
・地方に眠っている匠の技術
・その旅館でしか得られないホスピタリティの高いサービス
・そこでしか味わえない味
・その会社にしか創れない希少な製品
・その人でしか語ることができない知識
・その人でしか書けない記事
といった「拡大しにくいもの」が真に強い価値となります。
そこで、AIを活用した「おいしいビジネス発展の罠」に乗せられないよう注意が必要です。
そこでしか得られない、その人しか語れない、その人たちでしか提供できない、
それでいいのです。
そういうものこそが、真に魅力的な事業となって、ユニークで人も地域も潤う産業に育っていくはずです。
これからの私たちは、ますます、
「自分にしか、自分たちにしか生み出せないユニークな価値はなんだろう?」
という問いに向き合っていくことが求められます。
それは、「やるべき」「やらなければ」の発想ではなく、
「やりたい」「面白い」「これが好き」「これを突き詰めたい」
の発想からしか生まれないことは言うまでもないでしょう。
そこまで考えると、実は「AI」の時代とは、
人間が真に人間らしい、知的な生活を送ることができる、
チャンスにあふれた時代と言えるのかもしれません。